【進路指導部】全校朝礼 進路指導主事講話【勉強とは愛である】
熊谷西高校では、始業式や終業式後・全校朝礼・学年集会・統一進路等で、進路指導主事講話を行い、適時に適切な進路に対する意識喚起を行っています。
言葉の力は大きな影響力を与えます。毎回の講話が、西高生に勇気を、そして、西高生の生涯に影響を与え、自らが世界の幸福のために蓄えた力を還元することを期待しています。
令和7年度10月全校朝礼では、守屋校長による校長講話後に、平井進路指導主事から全校生徒へ、「勉強は愛であり、格闘であり、武器である」というテーマで話がありました。
全校生徒、教職員は耳を澄まして聴いていました。
1年生は「西高生になる」、2年生は「勝負の2年生」、3年生は「受験は団体戦」のキャッチフレーズの下、「英姿颯爽」の校風の中で、高い志を持ち、自己実現のために日々ベストを尽くしましょう。
【10月 進路指導主事講話】
おはようございます。
今まで、勉強に関する人生訓を沢山お話ししてきました。
今日は、「勉強と決断、そして挑戦」、特に勉強とは「愛」である。勉強とは「格闘」である。勉強とは「武器」である3点についてお話をします。
期待の第49期生である3年生には、「最善を尽くします」「成長した自分を楽しみにしてください」等、受験勉強に対する沢山の決意表明をいただいています。その言葉の裏側に、期待に応える真摯な気持ち、「愛」を感じました。
第1に言うならば、勉強とは「愛」です。
皆さんは臆せず、堂々と勉強してください。その中で、一つだけでいいから尖ったところを持つこと。自分が好きで、得意な分野を尖らせてそれが職業に繋がるようにしてください。
その過程で、準備を怠らず、覚悟を決めて、挑戦する。それは度胸とも言えます。心のエンジンです。挑戦したことは、仮に失敗しても、挑戦した決断そのものを後悔する事はほとんどないはずです。しっぽを丸めて引き下がるか、どんどん食らいついていくか、どちらかしかない選択肢。ベストを尽くし、一度決断したら、途中で意味を考えない。山に登る意味を考えていいのは、登り切った人か、途中であきらめて降りた人だけです。そうした体験が、高校生活や勉強でもできます。最終的には絶対に自分で決断すること。誰かに頼らない。誰かに頼ると誰かのせいにしたくなる。誰かのせいにすると自分がわからなくなる。自分で責任を負う。苦しいかもしれないけど、そこだけは自分と闘わないといけない。ありのままの自分を直視し、諦め悪く、泥臭くあれ。そうした姿勢が、周りの人を感化させる「愛」となります。
皆さんは激流に泳ぎ甲斐を感じる「若鮎」であってほしいと思います。そして、人生の晩年には悠々と泳ぐ「鯉」であってほしいと思います。
安定した水はいずれ淀みます。皆さんは清らかで新鮮な清流や激流も遡上する若鮎の如く勉強に励み、挑戦してください。
しかし、そうした日々のドラマの中で、世の中には「勉強」という言葉に拒絶反応を持つ人が一定数いるのも事実です。勉強といえば「ガリ勉」という言葉を連想し、勉強という言葉を嫌がる人達です。その代わり、受験勉強というとガリ勉とは言わない。全くおかしな話です。認識の歪みです。「お前、ガリ勉だよな」と言われたらどんな気持ちになりますか。友達に「勉強したのか」と聞かれ、「勉強してないよ」と答えたことがあるのではないでしょうか。
なぜそこまで堂々と勉強を公言できないのか。
世の多くの人は、学校の先生方も含めて、ガリガリ鉛筆の音を立てて勉強ばかりしている、頭でっかちといった悪いイメージを持ったと思います。勉強することが恥ずかしく、格好悪いというイメージ。すなわち、勉強はし過ぎてもし過ぎることはないのに、なぜか負のイメージが固定化してしまった。適度に勉強が出来、適度にスポーツが出来る中途半端なイメージが良しとされ、より良い未来の可能性を求めて半端ないほど芯のある努力が軽視される傾向になりはしないか。「ガリ勉」が片仮名になったのは、今から50年くらい前、西暦で言えば1960年代です。「ガリベン」の語源は明治時代。他のことはかまわず、「我」の「利」益や欲求のためにだけ熱心に「勉」強する自己中心的な人を意味します。1960年代までは、勉強は、世界の幸福、世のため、人のためにする誇りあるものでした。しかし、マスコミが勉強に鉛筆のガリガリという音を刷り込んだ片仮名の「ガリ勉」にすり替えてしまいました。その結果、日本は世界中で勉強することを恥ずかしがり、人目を極端に気にする国民性になってしまいました。本来、勉強とは誇れる手段です。「勉強したことを自分の強みとして、いかに人生を豊かにしていくか、楽しくて幸福なものにしていくか」。そのために使ってこそ価値があるのです。
第2に勉強とは「格闘」です。
困難な問題を追求し、克服し、興味がわかない分野と格闘する力、闘う力。知的格闘を求めて先生の懐に飛び込む力。(西高生はそこが上手くない) 生徒の懐に飛び込む力。勉強を通しての良き関係を作る力。それは日常の師弟(同行)の高め合いから実現することです。応援される生徒、応援される先生とはそうした関係から生まれます。勉強、つまり授業第一主義は、そうした知的好奇心や、人間に対する飽くなき好奇心や観察心をも養うことができます。
第3に勉強は「武器」です。
勉強を沢山積み重ねていくと、それは、永久不滅で唯一無二の経験となり、やりたいことが少しずつ見えてきます。ブレのない信念が生まれ、精神が研ぎ澄まされていきます。勉強や挑戦への恐怖が少なくなれば、その人の武器となります。決断を繰り返し、信念を貫き通した者は、ブレのない強さを持つのです。経験や知識の引き出しが増えれば増えるほど、自分自身の考え方や志、個性がどんどんシャープになっていきます。ただ、学生時代に「自分は個性的だ」「みんなと違う」と思っていても、社会に出たら実は平凡だった、なんてことはザラにあります。何故なら、その「個性」も結局は誰かの真似から始まり、社会に出て「みんな」の母数が増えれば、自分は「よくいる若者」でしかないことがあるからです。 要は、その「個性」に対して努力という裏付けのある根拠があるかないかが重要になってきます。個性は、「生きる術」です。皆さんは、勉強を、学問のベビーフードを学ぶことをとおして人間形成を図っていきます。それは、文は入力(インプット・知識)で横糸、武は出力で(アウトプット・知恵への昇華・行動)縦糸と解し、交差または回転してはじめて成り立つ。それによって、皆さんは、「タフで優しく、謙虚に賢い」西高生へ成長します。そして、様々な人との接触をとおして知恵を学び、時を守り、場を清め、礼を正し、生きる美学を学び、信用を財産に、仕事に誇りを持って、世の中を堂々と渡っていく術を身につけていきます。
勉強は偉大だ。
勉学の秋。
自信を持って存分に勉強してください。
最後に、3年生はまさに追い込みの時期。共通テストまで87日となりました。(修羅場です。)2年生は修学旅行終了後には3年0学期。共通テスト出願まで1年を切りました。高校生活半周分の復習を開始しましょう。1年生は2年0学期と意識を大きくしていきます。何事にも準備が大事です。「授業第一主義」・「自学自習」・「教え合い・学び合い」の強度を上げてください。
私も、出願戦略・併願プランニングの進路主事だよりを3枚出します。自信を持って提供する門外不出、マル秘の情報です。必ず熟読すること。
3年生は、まだまだ、模試の偏差値は簡単には伸びません。全国の受験生が同時に頑張っているからです。頑張る18歳はごまんといます。しかし得点は勉強した分伸びるでしょう。偏差値を上げるには、人の2倍、3倍努力することです。もがきにもがいてください。思考のプロセスを繰り返し、問題点は、謙虚に即、修正することです。つまり、小さな努力を怠り、気を緩めた瞬間、偏差値はガタ落ちするということです。また、素直でない人は合格から遠ざかります。素直な人は伸びます。受験は団体戦。進路早期決定者は最後まで仲間を応援する。スクラム組んで、教え合い、学び合い、支え合う。そして、先輩の背中を追いかけ、越えるという伝統を積み重ねましょう。仲間とともに切磋琢磨し、時に互いを叱咤激励して、志高く、「行きたい大学、行くべき大学」へ「納得のいく受験、納得のいく進学」をしていきましょう。
先日のノーベル化学賞受賞の京都大学 特別教授 北川進先生は、受賞の理由は、いい先生、いい仲間、いい学会(環境)の中にいたからだとおっしゃいました。環境も非常に大切です。
国力が下がり続ける日本。
皆さんは、将来、世に出たら、世界から日本をも洗濯し、日本を支える偉人となれるような西高生になってもらいたいと思います。
それでは、進路実現の合言葉です。
「今を精一杯生きる」
「ベターじゃなくてベストを尽くす」(ベタベス)
「タフで優しく謙虚に賢く」
「チャンス チャレンジ マジカルチェンジ」
そして、なんと言っても、
「フィジカル パッション 演習量」
終わります。
進路指導主事
平井 利久